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ベイスポ特別インタビュー 田浦 新一朗 さん

2024.04.03

配信

ベイスポ特別インタビュー 
素晴らしい人たちと出会い 支えられた人生

かつて、サンフランシスコにあった伝説の日本料理店「蝶々」。今では世界に広がるジャパニーズレストランの草分けで、夜ごと著名人らが集ったという。田浦新一朗氏は、蝶々の開店当時から37年間、姉夫婦とともに店を切り盛りし、ベイエリアの日本食文化を築いた人物。彼の顧客リストには、川端康成や手塚治虫など文化人のほか、石原裕次郎、吉永小百合ら日本の芸能人から、クリント・イーストウッド、フランシスコ・コッポラまで超大物が名を連ね、交友の広さが窺い知れる。蝶々の開店から60年以上たった今も、サンフランシスコ郊外で暮らし続ける田浦氏に、蝶々と彼の人生、日本とベイエリアへの思いについて話を聞いた。 

ベイエリアに住むことになった きっかけ


渡米したのは1960年です。大学を卒業して銀行に就職しようと面接を受けましたが、うまくいかなかった。そんな時、サンフランシスコに住んでいた姉夫婦が、「アメリカへ留学しに来てみたら」と声をかけてくれたのがきっかけです。もともと純文学や地理が好きだったので、海外を見てみたいという気持ちもありました。  

サンフランシスコに来て感じたのは、とにかく青空で、気候が最高。それで今まで、60年以上もここにいます。長いですね。

 レストラン「蝶々」での日々  


「蝶々」は、私が渡米してすぐ、姉夫婦がレストランをやるというので私も手伝うことになりました。当時、大学を卒業して職人になるということがとても珍しい時代でしたから、私自身、この道に足を踏み入れるとは思ってもいませんでした。  

店は中華街にも近い、ノースビーチのカーニーストリートにありました。2階建てで、造りにこだわり抜いた純日本家屋の内装。西海岸で初めて天ぷらバーを作ったのも蝶々です。地元の日系コミュニティはもちろん、日本から来た有名人やビジネスマン、ハリウッドの映画関係の方たちにも通っていただき、皆さまに本当に良くしていただきました。映画『ライジング・サン』(ショーン・コネリー主演、日米経済摩擦を描いたサスペンス)や、平岩弓枝さんの小説『女の顔』で舞台になりました。電通の連絡事務所として使われていたこともあります。  

中でも思い出深いのは川端康成さんです。一度目は新聞社の方たちに連れられて、二度目はその4年後にお一人で来られ、「4年前に来たのはこの店ですか」と。目の前にある、文学の大先生が戻って来られた姿に大変感激したことを覚えています。その後、日本に帰られた川端先生からお礼状が届き、そこから交流が始まりました。お礼状は長い巻物に筆で書かれていて、今でも大事に取ってあります。

 突然の閉店、それから  


店は繁盛していてとても忙しかったです。SFクロニクル紙に載った時は、それから3カ月間、目もまわる忙しさでした。営業後、家に帰らず店の2階で倒れるように寝たこともあります。姉夫婦がリタイアした後も、妻とともに店を続け、変わらず多くの人に通っていただきました。そんな蝶々でしたが、一帯の土地を手に入れた人物から法外な家賃を請求されることになりました。さらには景気の後退で撤退する日本企業も出てきて、徐々にお客さんが減り、37年も続いた店を閉じることになりました。悔しい決断でした。  

また、店を畳んだのと同じ時期に妻が亡くなりました。ちょうど息子が大学に行く時期にも重なり、私は料理の仕事を見つけて懸命に働きました。蝶々の常連さんの中には、ケータリングの仕事を紹介してくれた方や、家の空き部屋を提供してくれた方もいました。本当に良い客に恵まれ、支えられました。

 ベイエリアの楽しみ方  


以前はよくゴルフに行っていました。日系人のゴルフ大会で優勝したこともあります。ゴルフに行くなら、ナパのシルバラード・リゾートがおすすめです。ゴルフをしなくても、食事をしたり、コテージに泊まって周辺のワイナリーに行くのも良い。とてもきれいなところです。今は足が悪くなってゴルフには行けませんが、これから水墨画をやろうと思って、筆と墨を買ったところです。  

観光をするならカーメルはいいですね。ビーチへ続くギフトショップの並ぶストリートも、海岸線の景色もとても美しいです。  

レストランはノースビーチの「Tomasso's」がおすすめです。かつての蝶々と同じビルにあり、その頃からの付き合いです。昔ながらのリトルイタリーを体験できます。また、ミルブレーの「花泉」はとても良い味でした。ご主人は日本の吉兆で修行された、正統派の和食店です。

 日本への思い、 ベイエリアで暮らしていくこと  


以前は2〜3年に一度日本へ帰っていましたが、コロナの後は帰っていません。桜や紅葉の時期になると日本が恋しくなります。私の生家の前の土手には大きな桜の木がたくさんあって、春になるたびに日本への思いが強くなります。一度京都の三千院へ行って紅葉を見てみたいです。  

ベイエリアは今も、相変わらず気候が最高です。ここは僕の人生にとって大きな一つの宝物です。長生きできたのもこの素晴らしい気候と、良い人たちに巡り会えたおかげだと思っています。

プロフィール

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Shin Taura

サンフランシスコにあった伝説の日本料理店「蝶々」。今では世界に広がるジャパニーズレストランの草分けで、夜ごと著名人らが集ったという。田浦新一朗氏は、蝶々の開店当時から37年間、姉夫婦とともに店を切り盛りし、ベイエリアの日本食文化を築いた人物。

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