社長を務めるがん治療ベンチャーの本社をパロアルトに移転したことをきっかけに、ベイエリアに移住した松田和之さん。自身にとって仕事は「与えられた使命」だと話す松田さんに、ベイエリアでの仕事や生活について話を伺った。

ベイエリアに住むことに
なったきっかけ
私が社長を務めるがん治療ベンチャー「KORTUC」の本社を、東京からパロアルトに移したのがきっかけです。がん放射線治療の世界の総本山であるこの地から日本発技術を世界に届けようとしています。同時に、アメリカという「実験国家」に対する個人的な興味もありました。トクヴィルの『アメリカのデモクラシー』に描かれるような自由と平等の試み、南北戦争後の大陸横断鉄道やゴールドラッシュが生んだ開拓精神――そうした自由と挑戦を尊重する精神が、今もカリフォルニアの文化として生き続けていると期待しており、それを自分自身の仕事を通じて体験してみたいと思いました。
ベイエリアに最初に来た時の印象
幼い頃に訪れたときの、開放的な空、自由な空気そして陽気な人々の記憶が今も残っています。
ベイエリアの今の印象
かつては自由な実験の場であったこの土地も、今では世界のテクノロジーと経済を牽引する拠点として成熟し、ある種の制度と秩序が色濃くなり始めています。挑戦者たちの精神はいまも息づいている一方で、その挑戦が時に、自らの立場や影響力を守るためのものになっているように見える場面もあります。それでも私は、この土地の奥底には、いまもなお真の自由と創造性の源泉が息づいていると信じています。リチャード・ブランソンの “Screw it, let’s do it.”という言葉に象徴されるような、思考よりも行動を先にする直感と跳躍の精神―― そうした気風は、この地に今も根を張っているのではないかと期待します。私は、そんな精神に触れられる出会いを楽しみにしています。
あなたにとって、ベイエリアはどんな場所ですか?
私にとってベイエリアは、放射線治療技術の中心地であり、KORTUCにとってはまさに臨床開発と挑戦の最前線です。それだけではなく、この土地には自由と創造の精神を育んできた歴史と空気があります。その中で暮らし、働くということは、自分がより自由に創造的に生きることを見直す営みでもあります。ベイエリアは、そんな内なる問いを静かに呼び起こしてくれる、「現代の開拓地」のような場所です。
どんなお仕事、活動をされていますか?
KORTUC Inc.というがん治療のベンチャー企業を経営しています。放射線治療の効果を高める「放射線増感剤」という薬剤を開発し、今は英国とインドで、これからフランスと米国ほかも加えて臨床試験を進め、欧米での2029年の製品上市を目指しています。
専門分野について教えてください
専門分野はありません。バイオテクノロジーとファイナンス、そして国を越えて人と仕組みをつなぐ場で仕事をしてきました。いわばアイデアを実現するような仕事です。
その道に進むことになったきっかけ
INSEADでMBAを取得した後、メリルリンチ証券で投資銀行業務に携わりました。その際に担当したバイオベンチャーのIPOプロジェクトが非常に印象深く、ベンチャーの世界に飛び込みました。2015年にはKORTUCという技術の存在を知り、これは本当にがん治療に役立つと感じ、手伝い始めたのがきっかけです。
英語を使って仕事をすることについて
さまざまな国や文化、価値観を持つ人たちと出会い、議論する機会が得られるのがとても面白いと感じています。違うものに触れることの大切さを感じます。
あなたにとって仕事とは?
私にとって仕事は「与えられた使命」のようなものです。そして、アメリカという国がそうであったように、未完成なものを少しずつ理想に近づけていく「プロセス」だとも思います。
子どもの頃になりたいと思っていた職業
大工さんです。モノを作るのが好きで、家を建てている現場から木材の端材をもらって、幼稚園の友達のままごと用に食器棚を作ったりしていました。木を触る感触も好きでしたし、作ったもので誰かに喜んでもらえるのが嬉しかったです。
もし、いまの仕事に就いていなかったら
世界を旅して、いろいろな人に会って話をして、本を読んだり書いたりしていたかもしれません。
現在、どんなおうちに住んでいますか?
アパートです。
休日はどんなふうに過ごしていますか
土曜日は、妻と娘と一緒にテニスレッスンに参加しています。家族との時間を大切にしたいと思います。
ベイエリア、および近郊で好きな場所
カーメルです。1時間半ほどで行けて、自然も美しく、食事もおいしいので、週末に一泊旅行で訪れることがあります。
最近日本に戻ったときに感じたこと
日本に感じるのは、「計画通りに進めること」があまりにも重視されすぎていて、「未知の可能性に飛び込む力」が弱くなっているのではないかということです。そんなときに思い出すのが、福澤諭吉の『福翁自伝』です。自らの直感に従って学び、米国に渡り、自分の目で見て、感じて、それを形にした――その姿勢に今の時代にも学ぶところが多いと感じます。それは計画というより、ひとつひとつの行動の積み重ねでした。私自身、そうした「予定調和でない生き方」にこそ、今の時代に求められる精神があると感じています。
現在のベイエリア生活で不安に感じること
特にありません。
日本に郷愁を感じるとき
季節の行事や食文化にふれたとき、ふと懐かしくなります。
永住したい都市
パリ。中高でフランス語を学び、MBAもフランスのINS EADに通ったことから、パリにはずっと親しみを感じています。学生時代を過ごしたシャトー・ド・フルリーで、ゆっくり本を読んだりして過ごせる時間があれば最高です。
5年後の自分に期待すること
欧米で製品を上市し、世界中のがん治療に関わる先生方と会い、KORTUCの意義を伝えて回っている自分を思い描いています。それは単に製品を届けるということではなく、国や文化を越えて、希望や喜びをつないでいく仕事だと思っています。世界のさまざまな場所での出会いや風景を、家族みんなで一緒に感じながら巡っていけたらと思っています。
座右の書
福澤諭吉の『福翁自伝』と、アレクシ・ド・トクヴィルの『アメリカのデモクラシー』です。
最近読んで印象に残っている本
『アメリカのデモクラシー』は、よく読み返す1冊です。時代を超えて、個人の自由と共同体の責任のバランスを問い続けるその視点は、今のシリコンバレーのあり方にもつながっているように感じます。カート・アンダーセンの『ファンタジーランド』も、アメリカの「信じる力」が善にも悪にも転じる不思議なダイナミズムを描いていて、日々の出来事がより立体的に見えるようになりました。
最近観て印象に残っている映画
最近はあまり映画を観る時間が取れていません。
座右の銘
Screw it, let’s do it.
プロフィール
松田 和之
/
Matsuda Kazuyuki
三菱商事、メリルリンチ証券を経て、2002年にベンチャーの世界へ。現在はがん放射線治療の効果を高める薬を開発するKORTUC Inc.の社長。2023年に本社を東京からパロアルトへ移転し、家族と共に渡米。