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愛を持って人を助ける 「We are one」私たちは一つ

2025.01.01

配信

「川初先生」と呼ばれ、サンフランシスコ日本町をはじめ、ベイエリアの日本人・日系人コミュニティで長年親しまれている、金光教教会の川初正人さん。金光教サンフランシスコ教会会長をリタイアした川初さんに、これまでの経験や現在のベイエリアでの暮らしについて伺いました。



ベイエリアに住むことに なったきっかけ


私は山口県生まれですが、4歳から四国の松山市に近い瀬戸内海の島で育ち、成長して岡山県にある金光教の教師養成所、金光学院を卒業して金光教教師になりました。その後、学院の教授の補佐をしている時に、金光教サンフランシスコ教会に来ることとなりました。当時は今の教会の建物はなく、砂地でした。現在の建物が立ってから、ハワイの教会に行く事になりました。それから8年余りして、サクラメントに移り、1982年にサンフランシスコに再び帰ってきました。

 ベイエリアの印象  


サンフランシスコの気候は余り暑くなく、寒くなく、常秋で、とても住みやすい所だと思います。私達は日本町に住んでいて、日本食の買い物もでき、とても便利です。どこにでも住めば都ですが、シスコは離れがたい所ですね。でもホームレスが多くいて場所によっては汚れています。それが気になりますが、日本町は他の場所に比べてとてもきれいです。

 ご自分の活動について  


金光教サンフランシスコ教会をリタイアしましたが、今も大変忙しくしています。南サンフランシスコ市に支部を開きました。コロナ禍以降はZoomで毎週日曜日にオンラインのサービスをしています。サービスの後には書道クラスを開いていて、世界中から参加できます。サンフランシスコ教会では武道(心身学道)を教えています。犬のアリガトウ君と日本町を歩きながら、ゴミやたばこの吸い殻を拾っています。また、「We are one」(私たちは一つ)という会を4年前に始め、日系、アフリカ系、中国系、その他の人種と共に、良き社会を築く活動をしています。


 その道に進むことになったきっかけ  


教会で生まれたものの、あまり好きではなく、高等学校を出てから親元を離れて海上自衛隊に入隊しました。高校生の時の柔道の先輩が世界一周遠洋航海から帰って来たので、それにあこがれ入隊しました。私も遠洋航海に選ばれましたが、行く前に幽体離脱し、死の体験をしました。それで人生の方向が180度変わり、人の本当の幸せとは何かを知りたいと思い、遠洋航海をことわり、自衛隊を辞めて金光学院に入りました。

英語を使って仕事をすることについて


やはり米国は英語社会ですから英語が大変大切です。米国に渡る前、金光学院の校長先生が私に「サンフランシスコに行かないか」と言いました。その時、「英語が話せないので行きません」と断りました。すると、校長先生は「なんとかなる」と言われ、2、3年のつもりで来ることになりました。ところが米国にきて今や53年になり、日系3世の妻と結婚して何とかやっています。 

英語での失敗体験  


私は宗教家ですからどうしても話すことが多くあります。普通の会話でなく、奥深い意味を英語で話すとなると、なかなか伝わらないのです。それでなるべく簡単な言葉で伝えています。たとえば「1日1000回ありがとうございます」と言いましょうとか、そうすれば文句を言う暇がない。あとは、「もっと笑いましょう」とか。笑いは百薬の長ということは皆知っていても、あまり実践しません。それを稽古することの大切な事を伝えています。

 もし英語ネイティブだったらどんな仕事をしている?  


やはり宗教家になっています。宗教家の目的は人を助けることですが、たとえ英語が100%話せても人を助けることができるかどうかわかりません。愛の実行が伴わないと言葉だけでは人は助からないと思います。 あなたにとって仕事とは  

宗教の学校に入った時には宗教家になろうとは思わず、人生の本当の幸せを知りたいと思って入りました。しかし、在学中、病気をしたり、迷ったり、落ち込んだり、死の恐怖に出会ったりしました。それらを一つひとつ乗り越えて心の安寧を得ることができました。それで、卒業間際になり、宗教家になって人を助けてあげれば、自分が幸せになれると考えてこの仕事を選びました。

 生まれて初めてなりたいと思った職業  


特になりたいという職業はありませんでしたが、若い時には人生の成功はお金持ちになる事だと思っていました。今は金持ちではありませんが、心の富を得たと思います。

 今の仕事に就いていなかったら  


農業をしていたかもしれません。

 現在住んでいる家  


サンフランシスコ日本町にある日本町テラスです。日米宗教連盟が建てた建物です。


乗っている車  


トヨタカローラです。3年あまり車をリースして、それを買いました。

 休日の過ごし方  


子どもたちがいた頃は、ピクニックをしたり、小旅行をしたりしていました。今は妻と犬と猫と楽しく生活しています。時々小旅行もしています。


 好きな場所  


海の見える海岸や、公園が好きですね。

 日本へのおみやげ  


以前、ウイスキーやワインを持って行きましたが、タクシーの中にそれを忘れたり、駅で渡したとたんに落として割ってしまい、それからは瓶ものは持っていきません。コーヒーなどにしています。

 日本から持って帰るもの  


色々な菓子類や海藻類、ウナギなどです。

 ベイエリアで不便を感じる事  


特にありません。良いところに住まわせていただいています。

 不安を感じる事  


昨年大病をしましたので、まわりに心配をかけました。なるべく病気をしないように食べ物や飲み物に気をつけ、運動し、心に不安を持たないようにしています。

 日本に郷愁を感じるとき  


特にありません。アメリカ生活が長いので、こちらが故郷になっていますね。

 お気に入りのレストラン  


日本町のレストランはみんなおいしいですね。今年息子の結婚式に東海岸のフィラデルフィア市に行って日本食を食べましたが、あまり感心しませんでした。


 100万ドル当たったとしたら  


そうですね、どこか必要なところに寄付しますね。

 最近日本に戻った時に感じたこと  


訪日は毎年していますが、特に驚くことはないですね。

 おすすめの観光地  


やはり日本の京都や四国の松山も良いですね。

 永住したい都市


今のところサンフランシスコに永住するでしょうね。

 5年後に期待すること  


家庭や国や世界が平和であること。

これまで見た中で 印象に残っている映画


日系人が作成した『金繕い』という映画。第二次世界大戦の時、日系の若者が志願してヨーロッパに行きます。戦友が亡くなりその遺品を家族に届ける物語です。この映画の主題の金繕いの書は私が書いたものです。

 これまでで一番印象に残っている本  


私の出した本『1日100回ありがとう』。いろいろな方がありがとうという言葉で助かった話を書いています。その中に1カ月の命と言われた女性がいます。治療で抜けた何千本の髪の毛1本1本にありがとうと言ってから病院に行くとガンが消えていたという本当の話があります。

 自分を動物にたとえると  


私は戌年で、妻も1周り違う戌年です。私は背が高いのでシェパード、妻は背が低いのでチワワだと冗談で言っています。

 座右の銘  


「人生は感謝と笑いで」「家中、国中、世界中に笑いが広がる」

プロフィール

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Masato Kawahatsu

山口県出身。高校卒業後、海上自衛隊呉アカデミースクールで学び、海上自衛隊へ入隊。除隊後、岡山県・金光町にある金光教本部の教師養成学校(金光学院)にて学び、教師になる。同学院に勤めた後、1971年に渡米、サンフランシスコへ。その後、ハワイ、サクラメントでの教会勤務を経て1982年に再びサンフランシスコへ戻る。

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