高校生の時にアメリカへ留学し、その後ベイエリアへと移ってきた田辺龍平さん。IT企業でSREとして働くかたわら、昨年惜しまれながらも活動を終えたIkumi bandで活躍する姿を見たベイスポ読者も多いのでは。今回はそんな田辺さんに、ベイエリアでの暮らしについて伺った。

ベイエリアに住むことに
なったきっかけ
1992年の夏、約3週間シアトルでホームステイを経験した後、1993年に高校3年生の時、交換留学生としてオクラホマの高校に編入しました。高校を卒業後、そのまま近所にあったオクラホマ州立大学に進学しましたが、当時は日本食レストランもなく、もちろんアジア系のスーパーもありませんでした。寮のカフェテリアで食事をすることが多く、どうしても日本食が食べたい場合は、オクラホマシティやタルサにある鉄板焼き系の日本食レストランまで1時間以上かけて行くしかありませんでした。その後、サンフランシスコを訪れた際に、アジア系のレストランが充実していることに魅了されたのと、雪が降らず暑くもないという理由からCCSFへの転校を決意し、1996年にサンフランシスコへ移住しました。
ベイエリアに最初にきた時の印象
ど田舎のオクラホマから、車で3日以上かけて一人でたどり着いたサンフランシスコは、とても都会的で煌びやかだったのを覚えています。到着したのは12月末で、雨がよく降っていました。オクラホマとは違い、サンフランシスコの道路は迷路のようで、市内での運転に慣れるまでしばらく時間がかかりました。現在のように携帯が無いため、本屋で市内とMuniの地図を購入して道を覚えました。当時のオクラホマにはメジャーリーグのプロスポーツチームがなかったので、今はなきキャンドルスティック・パークで行われていた49ersの試合やジャイアンツの試合を観に行くのが楽しみでした。
あなたにとって、ベイエリアはどんな場所?
日本に住んだ17年よりも長く住み続けているベイエリアは自分にとって故郷です。学生時代にはサンフランシスコやデイリーシティなどにも住みましたが、今はサウスベイの方が好きです。
どんなお仕事をされていますか?
現在、バイトダンスでクラウドSREとして勤務しており、主にグーグルクラウドの管理とサーバー初期化スクリプトの運用を担当しています。
その道に進むことになったきっかけ
オクラホマ州立大学在籍中に初めてEメールアドレスを取得し、IRCというチャットツールを教えてもらったことがきっかけで、ソフトウェアやネットワークに興味を持ちました。また、最初の車を事故で廃車にした際に戻ってきたお金で、初めて自分のコンピュータを購入しました。これがきっかけで、専攻をマーケティングからコンピュータサイエンスに変更しました。サンフランシスコに引っ越した後は、すでに社会人だった先輩方のアドバイスを参考に、自分のドメインを取得し、自宅の回線を使ってサーバーをホストするなど、学校では学べない経験を積むことができました。これらの経験が、今の自分に繋がっていると感じています。
音楽活動もされているということですが?
昨年まで「Ikumi Band」というバンドでギターを担当していました。ほとんど人前で演奏した事がなく、最初は緊張で直立不動になり、何を弾いているのかもよく分からない状態でしたが、回数を重ねるごとに少しずつ余裕が出てきて、最終的には演奏を楽しめるようになりました。サンノゼ日系祭りの関係者の方が六甲での演奏を見に来てくださり、演奏のオファーを頂きました。それがきっかけで、「San Jose Veggie Fes」というイベントにも招待されました。
現在は「Hong Dae Pocha」という韓国料理店で、毎月第4週末にゆるく演奏しています。メンバーは基本的にギターとベースのみで、その他のパートは音源を使用しています。数曲はお店の方が歌っています。演奏ジャンルは主にロックやポップ系の洋楽と、同系統の韓国の楽曲を演奏しています。このバンドではベース担当で、ぼちぼち他のパートのメンバーも増やしていけたらなと思っています。
英語を使って仕事をするということについて思うことは?
このエリアでは、私を含め英語を母国語としない人が多いため、英語で仕事をするのはなかなか大変です。時には、何を言っているのか全く聞き取れないタイプの英語を話す人もいます。専門的な英語やビジネス英語の習得も重要ですが、それ以上に、さまざまな習慣や文化を尊重することが、他人と円滑に仕事を進める上で大切だと感じています。個人的な話ですが、私は生まれつき高周波数の音に対して難聴があり、日本語のように母音で終わる言語とは異なり、子音で終わることが多い英語の聞き取りには長年苦労してきました。現在は補聴器を着けていますが、相手の声の音量が小さいと、今でも聞き取るのが難しいことがあります。
休日はどんなふうに過ごしていますか
予定がなければだいたい家にいて、ギターやベースを練習したりしています。予定がある場合はだいたい友人とどこかへ飲みに行っていることが多いです。

よく利用する日本食レストラン
近場ではTanto、Gaku、Ajito、Sushi Jin、またMeat Timeにお世話になっています。サンマテオでは銀次、サンフランシスコでは居酒屋Mayumi、割烹Yujiに行くことが多いです。

もし、100万ドル当たったとしたら
頻繁にイタチに侵入される三重の実家を建て替えると思います。
日本に戻る頻度
2年か3年に1度のペースで帰っています。
日本へのお土産は何を持っていきますか?
シーズキャンディのチョコレートや、トレーダージョーズやホールフーズの調味料を持ち帰ることが多いです。スーツケースに余裕があれば、ワインを持って行くこともあります。
また、以前こちらに住んでいた友人に頼まれたものを持ち帰ることもあります。
日本からベイエリアに持って帰ってくるもの
日本のサイトで購入し、実家に送っておいたものや、こちらでは手に入らない日本酒や焼酎などをよく持ち帰ります。また、限定品や新商品には目がないので、ラーメンやお菓子を買って持ち帰ることも多いです。

現在のベイエリア生活で不安に感じること
25年以上ベイエリアに住んでいますが、物価の上昇の激しさに最も不安を感じています。アパートの家賃も、この20年で1000ドル以上値上がりしました。
これまで見た中で影響を受けた、または印象に残っている映画
昔からオードリー・ヘプバーンが好きなのですが、特に『マイ・フェア・レディ』が好きです。昔の映画にしては比較的長めで、ミュージカル要素があり、特に発音を矯正するシーンが滑稽で気に入っています。英語を聞き取れるようになってからは、登場人物の訛りの違いも理解できるようになり、以前にも増して楽しめるようになりました。
プロフィール
田辺 龍平
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Tanabe Ryuhei
三重県菰野町出身。高校3年生で渡米し、SFSUでコンピュータサイエンスを専攻、卒業後は10年以上にわたりカプコンやバンダイナムコなど、日系ゲーム会社で社内ITやオンラインゲーム開発に従事。その後、Symantec、Broadcom、Credit KarmaなどでSREとして勤務。レイオフや買収を経験し、現在はByteDanceでクラウドSREとして働いている。