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プレイングCEOとして さまざまな分野に挑戦する

2025.02.05

配信

2010年、日本企業のアメリカ法人立ち上げのためにベイエリアに移り住んだ渡邊良さん。同社CEOとして働く渡邊さんは自身をプレイングCEOと称し、独自性のあるビジネス企画に携わっている。そんな渡邊さんに、ベイエリアに来た経緯や現在の暮らしについてお話を伺った。



ベイエリアに住むことに なったきっかけ


私は2006年に日本で古河産業株式会社という、古河電工グループの中の商社に就職しました。さまざまな商材をさまざまなエリアで取り扱う企業で、最初の一年は海外営業部に配属され、東南アジアを中心とした顧客の担当をしていましたが、翌年に突然、グループ会社のアルミメーカー出向を命じられました。その際のミッションがベイエリアに本社を置く液晶や半導体の製造装置メーカー様とのお取引をメーカーの立場、商社の立場の両面から担当するというものでした。お客様はアジアや欧州にも拠点をお持ちの企業でしたが、古河産業は米国に拠点を持っていませんでしたので、当時、開発打ち合わせのために1〜2カ月に一度ベイエリアに出張し、その合間に中国、韓国、台湾などをぐるぐる回るような生活をしていました。最初にベイエリアと縁ができたのはこの時です。

その後、3年間この生活が続いたのですが、お客様とのお取引が拡大していく中で、毎月のようにベイエリアに来ていましたし、毎日早朝からベイエリアのお客様と電話会議というようなことをしているうちに、「こんなんだったら、拠点作った方が良いのでは?」と感じ、ある日、当時の経営陣に米国現地法人の設立起案書を出してみたところ、それが承認され、米国法人を立ち上げることとなり、2010年、27歳の時に渡米、現在も籍を置くFurukawa Sangyo North America, Inc.を立ち上げ、現在に至ります。

 ベイエリアの今の印象  


会社の立ち上げとともに住むようになったわけですが、当時はリーマンショックの後ということで、多くの日系企業が撤退や規模縮小されていました。そういうこともあってなんとなく、日系企業のコミュニティもあまり元気がなかったように思います。

しかし、その後、起業ブームが巻き起こり、沢山のスタートアップを中心としたシリコンバレーのエコシステムが生まれ、遅ればせながらも、それに乗り遅れんとする日本企業の再進出や日本人起業家が増え、シリコンバレーが世界的な注目の的となるのと比例して、ベイエリアの日系コミュニティも大きく、元気になったなという印象を受けています。特に若い世代の日本人が増えたなとも感じています。

私が住み出した頃、20代でしたが、企業同士の会合やイベントに顔を出しても、いつも断トツに若く、「そんな若い奴に一人でやらせてるの?」と物珍しい感じで見られることが多かったです。でも、ベイエリア、特に日本人のコミュニティが活性化されていくことは良いのですが、それに比例して上昇するリビングコストだけは勘弁してほしいですね。

 あなたにとってベイエリアはどんな場所ですか?  


住み始めた最初の頃は、出張などでSFOから東京行きの飛行機に乗って、成田や羽田に着いて、飛行機から降りた時に「帰ってきた〜」と感じていましたが、どこかのタイミングから、反対に東京からSFOに戻ってくる飛行機を降りた時にそれを感じるようになりました。そういう意味ではもう、私にとって完全にベイエリアが「地元」になったんだなと感じます。

 どんなお仕事をされていますか?  


前述の古河産業米国現地法人を経営しております。10名程度の小さい規模ですから、もちろんプレイングマネージャーならぬ、プレイングCEOです。立ち上げから15年の間にさまざまな方向にビジネスを広げ、現在では古河産業の欧米統括拠点として事務所はサンノゼに置きつつも、カバーエリアは北米、中米、南米、欧州と様々な場所でさまざまなビジネスをしております。特にグループの中でも、私がいる米国現地法人は本社や他国の拠点ではやっていないような独自のビジネス企画が多く、異色な存在です。そういう意味で、多くの国や地域でたくさんの出会いで得た、お話、商材、知識などの引き出しから、必要なものを組み合わせてビジネスを企画していくということが得意なのかも知れません。

 その道に進むことになったきっかけ  


大学4回生を休学し、カナダに留学していたのですが、就職活動のタイミングを全く考えずに帰国時期を決めてしまっていました。気づいた時には就職活動が始まっており、日本に戻った時には大手の募集がほとんど終わっているような状況でした。カナダにいたので企業研究なんかも全くしておらず、どうしようかと考えたところ、「商社はメーカーと違い、自分たちがモノを作らないのにそれを売ってお金を稼いでいる。どんな商売にでも応用できることなのではないか」と思い、就活サイトで、まだエントリーの間に合う商社を検索していました。



大手商社はもちろん募集を締め切っている中、「古河産業」という名前が目につきました。なまじ高校で日本史を選択していたため、この古河というのが明治の財閥であることに気づき、住友財閥の住友商事、三井財閥の三井物産…のような会社なんだろうというイメージを持って「エントリーする」というボタンをクリックし、面接に行ったところ、4回ほど面接があると言われていたのに、2次面接を終えて帰る時に人事に呼び止められ、ランチに誘われ、鰻をご馳走になりながら、「一応、あと2回面接しますが、もう内定出すことに決めたので。ぜひうちに入社を決めてください」と言われ、入社してみたら、想像より全然小さい規模の会社だったのです。というわけで、「ワンクリック詐欺入社」と呼んでいます。

 英語での成功体験、失敗体験  


日本にいる時から、マクドナルドのチキンナゲットが大好きでした。日本ではいつもマスタードソースを好んで食べていました。しかし、アメリカに来た頃、マクドナルドでソースを聞かれ、「マスタード」と伝えると、大概、ハニーマスタードソースが同封され、毎回、「これじゃないんだよなぁ」と思いながら食べていました。

その後、本当に日本のマスタードソースと同じものはアメリカにはないのか?と思い、店員さんに英語でやり取りを重ね、日本の「あの」マスタードソースのことはこちらでは「ホットマスタード」というのだということを発見しました。あの時の達成感は仕事でもなかなかありません。

 休日はどんなふうに過ごしていますか  


出張等がない休日は朝、昼、晩のご飯は私の担当です。朝起きて、子ども達の朝ごはんを用意し、ちょっと休憩したら昼ごはんを作り、その後晩御飯用の買い物に出かけ、晩御飯を作って家族で食べたら、あとは寝るまでずっとネットフリックスを見たり、ゲームをしたりしています。


 よく利用する日本食レストラン  


Tantoに一番お世話になっています。他にもAjitoやGaku、最近ではちょっと前にできたミルピタスのMeat Timeによくお邪魔します。



 もし、100万ドル当たったとしたら  


10万ドルを好き勝手に無駄遣いして、残りは投資に回します。

 最近日本に戻ったときに感じたこと  


物価が上がったなんて騒がれていますが、それでもやっぱり、なんでも安いなぁというのは感じました。一方でホテル代なんかは異常に高くなっており、なんだかバランスが悪いなと思いました。

日本へのお土産は何を持っていきますか?  


トレジョでお菓子やボディクリームなどを沢山買って配ることが多いです。ちょっとVIPな方にはお気に入りのカリフォルニアワインをお持ちしています。

日本からベイエリアに持って帰ってくるもの  


無印良品のレトルトシリーズや、ドンキホーテで買えるような調味料類などをけっこう買ってしまいます。最近ではテレビで見た「ねこぶダシ」をいっぱい買ってきました。

 現在のベイエリア生活で不便を感じるとき  


数々のIT企業を擁し、世界のテックトレンド最先端を行くシリコンバレーなのに、ネット環境は良くないなぁと感じます。家のネット回線もよく途切れますし、スピードも遅い。

 現在のベイエリア生活で不安に感じること  


やはりどんどん上がっていくベイエリアのリビングコストに対し、フリンジがあるとはいえ、日本の給与水準がベースとなっている上に円安で手取り激減となっている日系企業駐在員の給与が見合わなくなってきているので、単純に生活水準が維持できるのか? という不安があります。

 永住したい都市  


やはりベイエリア、または故郷の大阪でしょうか。


 5年後の自分に期待すること  


何かしら、次のキャリアステップに進んでいて欲しいですね。

プロフィール

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RYO WATANABE

大阪生まれ、大阪育ち。関西学院大学を卒業後、古河グループ傘下の商社である古河産業(株)に入社。4年間の東京勤務の間に米国子会社の設立起案を行い、2010年に渡米し子会社立ち上げ。現在はSan Joseにオフィスを構え、米州、欧州向けの半導体、エレクトロニクス、メディカル、航空宇宙など、さまざまな業界のビジネスに携わっている。

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