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色が薄くて明るい 思い出がつまったベイエリア

2025.02.19

配信

IT企業でプロダクトマネージャーとして働くかたわら、作詞家としても活動する臂陽子さん。ベイエリアの印象を色が薄くて明るいと表現する彼女に、現在の暮らしや仕事、音楽について話を伺った。



ベイエリアに住むことに なったきっかけ

高校が英語科だったので、海外などに近い環境があり、大学進学の際、やっぱりアメリカで勉強したくて留学を決意、当時ジェリー・ライスがいた49ersの大ファンだったので、サンフランシスコ大学を選びました。今から考えると、両親説得のために情報を集めて、留学にはこれが必要で、こんないいことがあります的なプレゼンをしたと思います。快諾してくれた両親に感謝です。初渡米は92年です。

 ベイエリアに最初にきた時の印象  


空気が薄い。というか、色が薄い気がしました。多分湿気の影響だと思うんですが、日本の色は凝縮された深さがあるのに対して、ベイエリアの色は軽くて薄くて明るいと感じました。他には、よく聞く話ですが、夏が寒い。風が強いのでレイヤーが必要です。18歳で来たときは精神的にとても幼かったので、割とすんなり何でも受け入れられた気がします。

 ベイエリアの今の印象  


色の薄さは今でもそうだと思っていて、今では戻ってくると落ち着く色みになってきました。ここ数年ハイキングにハマっているのですが、こんなに簡単に海にも山にもいくことができるのは大変魅力的です。サンフランシスコは来た当時と比べると大きく変わっていますが、基本的にサイズが大きすぎず小さすぎず、適度な多様性もあって住みやすい。最近、北加日米会に加入したので、日系コミュニティについて学ぼうと思っています。会員大募集中とのことなので、ご興味のある方はネットで検索してみてください。

 あなたにとって、ベイエリアはどんな場所ですか?  


今は職場ですが、サンフランシスコは青春を過ごしたところでもあります。友達と踊り明かしてから行くお粥屋さんとか、ワインを3本開けた交差点、失恋して号泣したバス停とか。思い出が詰まっています。イーストベイは息子が小さい頃に住んでいたので、母親業を始めて、本当にたくさんのことを学んだ場所です。

 どんなお仕事、活動をされていますか?  


現在はサンフランシスコにHQがあるSaaS企業でプロダクト・マネージャーをしています。元々は営業寄りのビジネス・デベロップメントをしていたのですが、運よく機会をいただいて、プロダクトへの転職に成功しました。まさかこの年で新しい挑戦をするとは思っていなかったのですが、学ぶべきことが多く、大変刺激的で楽しいです。



また兼業で、2001年から日本で作詞家として活動しています。最近は全くリリースなどないですが、まだ作詞家だと言い張っています。

 専門分野について教えてください  


現在のチームでは本人確認に関する仕事をしています。それでも専門分野というと、最終的にはやはり日米の間をうまく繋げるということになるのかなと思います。両方の観点、経験を持つ自分にしかできないところで成果を出したいと思っています。音楽の方では、歌詞の内容ももちろんなんですが、作詞の技術的な部分、どんな言葉を使ったら気持ちよく歌えるようにメロディにのせられるか、というようなことを常に考えています。

 その道に進むことになったきっかけ  


前職でプロダクトに関わるようになり、ものづくりに俄然興味が湧いたところ、偶然日米も関わるプロダクト職を発見して応募したのがきっかけです。音楽の方は大学時代にソウル、R&Bを語りたくてネットを放浪し、現在もよく仕事をするプロデューサーの友人と知り合いました。その時ちょうど新人さんをプロデュースする話があり、作詞家がいなかったので「書いてみる?」と聞かれて「やる」と即答しました。思春期に書き溜めたポエムが役に立ったので、その時は苦しくて醜くて何の役にも立たないと思ったことでも、最終的には無駄にならないし、役に立つこともあるよと、ぜひ若い人たちに伝えたいです。

 英語での成功体験  


役に立ったなと思うのは、北加日米会主催お茶会のボランティアをしているときに、日本人としての感覚を踏まえてお茶室や、茶道に関することなどを英語で説明してあげた時に、参加者の方々が「なるほど」という反応をしてくださった時、また、日本が関わる仕事で「あなたがいたおかげで時短になった・理解が深まった」と言われるとうれしいです。失敗は、いまだに日本語コミュニケーションの癖で先回りして理解しようとしてしまうこと。今の職場では「慮って」理解しようとするより、確認して明確に理解する方が重要です。

あなたにとって仕事とは?  


超楽しい。成長できる。いろんなハイスペックの方から学ぶ機会がある。お賃金がもらえる。けど、卒業するのが楽しみでもあります。

 子どもの頃になりたいと思っていた職業  


本当に本当の本当は、歌手になりたかったです。歌うことが大好きでした。小さい頃は恥ずかしくて言えなかったけど、よく考えると、すでにそこから競争に負けていたんですよね。

 もし、いまの仕事に就いていなかったら  


もし大学を終えたあと日本に帰っていたら、もっとガッツリ音楽をやっていたと思います。

 現在、どんなおうちに住んでいますか?  


海の目の前のアパートを借りています。家主さんも日本人の方で、いつも大変よくしていただいています。

 休日はどんなふうに過ごしていますか  


メリハリをつけるために仕事に関わることは極力しません。とにかく睡眠を取るのと、息子とハイキングやビンテージショッピングに行ったりします。大人になった息子と会話するのがすごく楽しくて、色々学ぶところがあります。音楽の趣味も似ていて、正にBestieです。あとは北加日米会関連で、ベイエリアの日本に関わるイベントを手伝ったり、年齢とともにスキンケアやベースメイクへの興味が増したので、日本や韓国系のビューティーインフルエンサーさんたちのユーチューブを観ています。



 ベイエリアで好きな場所  


なんとなくイーストベイが好きです。なんでですかね。行くとワクワクします。



 よく利用する日本食レストラン  


レストランでみつけるのが難しい家庭料理が好きなので、日本食は主に家で作っています。食材はWeee!で簡単に購入できてとても便利です。

 もし、100万ドル当たったとしたら  


ベイエリアに家は買えないですが、のんびりしたリタイア向きのところに手のかからない住居を持って、ストレスの低い余生を過ごしたいです。

 日本に戻る頻度  


最低でも年に1回。若い頃からずーっとこっちにいたので、できる限り両親に会いに行きたいと思っています。

 最近日本に戻ったときに感じたこと  


カフェに入った時、近くの席に熱心にお子さんの英語教育に関して語っているママさんたちがいらっしゃって、すごくアドバイスしたい衝動に駆られました。英語が話せるようになったその先を、お子さんと一緒に考えてくれるといいなと思いました。

 ベイエリア生活で不安に感じること  


基本的に老後が漠然と不安です。年齢的な肉体の制限も感じるので、筋肉をつけて強くなりたいです。

 日本に郷愁を感じるとき  


家族に会いたい時ですかね。

 おすすめの観光地  


個人的にピア39は嫌いじゃないです。月並みですが、ゴールデンゲートブリッジはどこから見ても美しいと思います。

 永住したい都市  


命の危険がない自然と頑丈なインフラ、ソーシャルが適度にリラックスした環境のあるところを探しています。

 5年後の自分に期待すること  


一番は体脂肪を落として筋肉があり、姿勢が改善していること、もっとProduct Thinkingになっていること、Passive Incomeがあること、毎日何かしらワクワクしていること、何か書いていること、あとはもっと人と関わっているといいなと思います。


プロフィール

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Yoko Hiji

プロダクト・マネージャー、作詞家。高校卒業後、大学進学で単身渡米。気がついたらベイエリアでの生活は33年になりました。最愛の息子と海沿いでの暮らしを満喫中。

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