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あなたの「今」が輝くために−其の百六十

2026.04.01

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「父の死」


 今月は個人的な話をさせてください。先日、父が亡くなりました。

 最期は寺でと、入院先の病院から帰る準備をしていた矢先のことでした。4カ月に及んだ入院期間中、母は毎日病院に通い、私も京都にいる間は時間をつくって父に会いに行っていました。病室では色々な話をしました。普段から会話の多い家族でしたが、入院してからは深い話をするようになりました。父自身「死」ということを自覚したからでしょうか、「生きる」ということ、今、生きているということが、明確になったようでした。そうして私たちは、贅沢とも言える時間を病室で過ごしていました。

 いつものように「また明日」と言って母と病室を出た、その翌日の朝5時過ぎのことです。私の携帯が鳴り、至急病院に来てほしいこと、そして少し怒ったような声で、お母様にも何度も電話をしているのにと言われました。寺の離れに住んでいる私は、寺に母を起こしに行き、タクシーを呼び、急いで病院に向かいました。しかし、父の死に目には会えませんでした。

 痛恨でした。私の携帯には、午前1時半から28回もの着信履歴が残っていました。午前1時すぎまでは起きていたのに、寝込んでしまった無念さ。熟睡して電話に出られなくなるのが怖くて、わざわざベッドではなく硬い床に敷かれた絨毯の上で寝ていたのに…。後悔が波のように押し寄せます。それは母も同じでした。参拝者の邪魔になってはと、寺の固定電話の着信音を最小に設定したままだったのです。深い後悔が残りました。

 大事な方を亡くされた方もおられると思います。時が経って後悔が薄まるどころか、あの時ああしていれば…と、新たな後悔が生れることもあるでしょう。それによって自分自身を責め、他者をも責める。被害者になり、加害者にもなっているのです。けれども事実は何か? 父は命をまっとうしたのです。そして、私と母はその瞬間に間に合わなかった。それだけなのです。その事実に気づかされたことで、私は被害者からも、加害者になるということからも解放された思いがしました。

 もちろん後悔は残っています。大きな痛みです。けれども痛みがあるから現状に甘んじられない、悲しみの中で頑張れるのです。だとすると、この後悔は父からのギフトなのかもしれません。



写真:Noriko Shiota Slusser

英月(えいげつ) 真宗佛光寺派長谷山北之院大行寺住職。江戸時代から続く寺の長女として、京都に生まれる。同業者(僧侶)と見合いすること、35回。ストレスで一時的に聴力を失う。このままではイカン! と渡米。北米唯一の日本語ラジオ「サンフランシスコラジオ毎日」でパーソナリティーを勤める他、テレビ、ラジオCMに出演。帰国後、大行寺で始めた「写経の会」「法話会」に多くの参拝者が集まる。講演会、テレビ出演、執筆など活動は多岐にわたる。最新著書は『二河白道ものがたり いのちに目覚める』(春秋社) 。

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