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あなたの「今」が輝くために−其の百五十

2025.04.30

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言葉の呪縛

 皆さんこんにちは、いかがお過ごしでしょうか。先月のコラムで「言葉に縛られている私」ということを書いた直後に、まるでそのことを象徴するような出来事がXを騒がせていました。

 ことの発端は1枚の張り紙でした。ショッピングモールに置かれたストリートピアノの運営者が、張り紙だけでなく公式Xでも「練習は家でしてください」、「自分よがりな演奏は『苦音』です」等の“声明”を発表したのです。それに対して批判が殺到し、3日後には運営が騒動を謝罪、結果、ピアノは撤去されました。

 ネットにはさまざまな意見が溢れていました。その大多数は「ストリートピアノは誰もが自由に弾けるものだから運営の言い分はおかしい」というものでしたが、中には「ストリートピアノであっても公共の場所にある以上、周囲に迷惑をかけるような演奏をするべきではない」というものもありました。どちらにしても論争の中心は「ストリートピアノとは?」です。つまり自身が思う「ストリートピアノ」という言葉の概念とは違う、他者の理解は受け止められないのです。だけでなく、X上ですが攻撃までしてしまう。

 これは特別なことではなく、私たちの日常でも起こることではないでしょうか。

 例えば親子、親戚、恋人、上司に部下など色々な関係を生きている私たちです。それぞれのリレーションシップに、親だったら、子どもだったら、恋人なら、こうするであろうという思いがあります。当然ながら相手にも、それぞれの関係に対する思いがあります。こうするべきだ、こうするのが当然だと。思ったとおりにならないと、相手を責めることも起こります。親なのに、子どもなのに、恋人なのにと。その結果、自分自身が苦しむことになります。

 親子関係、恋人関係、仕事関係などの関係は事実でしかありません。なのに、その言葉から勝手に思い描いたイメージに、自分自身が縛られているのです。

 かく言う私も、僧侶という言葉に縛られているのかもしれません。僧侶だから良いことを言わないといけない、良い人でいないといけないと。当たり前すぎて、縛られているとも思っていない色々なことに、縛られている。そのことに気づかされることで、解放される思いもあるのではないか。改めて、そんなことを思いました。


写真:Noriko Shiota Slusser

英月(えいげつ) 真宗佛光寺派長谷山北之院大行寺住職。江戸時代から続く寺の長女として、京都に生まれる。同業者(僧侶)と見合いすること、35回。ストレスで一時的に聴力を失う。このままではイカン! と渡米。北米唯一の日本語ラジオ「サンフランシスコラジオ毎日」でパーソナリティーを勤める他、テレビ、ラジオCMに出演。帰国後、大行寺で始めた「写経の会」「法話会」に多くの参拝者が集まる。講演会、テレビ出演、執筆など活動は多岐にわたる。最新著書は『二河白道ものがたり いのちに目覚める』(春秋社) 。

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