Astro・Ajugaの十二星座占い

「海を渡って年中無休!!」 第2章

2026.06.03

配信

横丁「パスポート」がくれた三千マイルの航海

 「エイドリア〜ン!」15ラウンド終了のゴングが鳴り響き、顔面流血の無名ボクサーは群衆の中で愛する妻の名を叫んだ。妻は観客を掻き分けてリングに上がる。チャンピオンとの死闘の末、ボロボロになったロッキーは妻に「I love you」とリング上で熱い抱擁とキスを交わす。妻への愛と尊厳。そのロッキーの姿は、彼が自分自身の内側にある壁を、ほんの数センチ乗り越えたということだった。そして二人は肩を抱き合いながらゆっくりと観客の中に消えていった…。  

 当時、小学生だった僕の心にその映画は「アメリカという名の挑戦と愛」を消えない焼き印のように跡を残した。それは後年、僕の人生に突きつけられる一通の「挑戦状」になる。10代の早い時期からフランス料理修行に入った僕の「日常」はいささか狭く、単調だった。料理技術を学び、それをこなすという城壁を積み上げる日々。調理場という閉ざされた世界で呼吸し続けることが窮屈になっていった。23歳の時、僕は学び舎を離れ、双子の弟と共に故郷の仙台で独立した。「時を一緒に浪費する母屋」という願いをこめて、10坪に満たない小さなショットバーに「時浪屋」という名前をつけた。当時の横丁は戦後のバラック建築がそのまま年老いていた。煌びやかな夜の繁華街の片隅に、血管のように入り組んだ暗く怪しげな「呑み街道」。千鳥足の中年サラリーマン達は「魂の癒し」を求めていくつもの暖簾をくぐっていた。


 そんな若者達には全く無縁の横丁に、僕らはあえて一軒の店を構えた。以前はおでん屋さんだった店を大家さんに断りもせずに改装した。しかも友人達を巻き込んでのハンドメイド改装。壁とドアを取り壊し、路面までせり出す特注の赤いテントを張った。店内には手書きのアート、オブジェ、英語版のメニュー、BGMにはジャズやロックを流した。古びた横丁のルールを完全に無視した、驚嘆で奇抜な赤テントのショットバーの誕生だった。当時の日本はバブル絶頂期。夕方5時の開店から翌朝5時まで止むことのない乱痴気騒ぎの毎日。近隣の店主達から苦情が絶えなかった一方で、メディアは僕らを「ニューウェーブ」ともてはやした。雑誌、テレビ取材が殺到し、僕らは一時期、仙台の飲食業界でちょっとした「時の人」になった。
   

 そしていつの間にか外国人客も多く訪れるようになり、ある夜、外国人客だけでいっぱいに。僕らはカタコト英語と無償の笑顔で彼らを向かい入れた。“Cheers”から“Kanpai”に音頭を変え、料理について聞かれれば、ドラマ「深夜食堂」の主人さながら「できるものなら何でも作るよ」の調子でインターナショナル料理と名付けたアドリブの皿は驚くほど彼らに受け入れられた。“Sho, you are so funny guy! You should open in America!” そんな夜を重ねて時浪屋の空気はやがて国際的な色彩を帯びていった。

 ある日の開店早々、3人の外国人客が店を訪れた。僕の目の前に座った一人の女性、その瞬間に僕のアメリカへの「航海」は決定した。もちろん、その時の僕には知る由もなかったけれど、彼女は後に僕の妻となる人だった。ロッキーにとってのエイドリアンがそうであったように、飲食界という名の「リング」で闘っていた僕にとって、彼女との「出会い」はまさに最終15ラウンドのゴング。僕は日本での生活を脱ぎ捨て、アメリカへの出航を迷いなく決めた。目指すはサンフランシスコ。「人生の行方は誰にも分からないよ」道中で出会う人々が、その不確かな旅路を価値あるものに変えてくれると。確かに一寸先は闇だった。けれどもそこには無限の選択肢が金脈のように眠っている。そう信じながら、ただひたすらに料理を作り続けてきた。そして気づけば30年が過ぎていた。

 かつて仙台の横丁で、赤いテントの下で僕が振る舞っていた「アドリブ料理」は、今ではサンフランシスコの空気に馴染み、僕自身の確かなスタイルへと形を変えた。ビジネスの戦略や文化の輸出といった難しい理屈は、僕にとってはそれほど重要なことではない。  

 大切なのは、目の前の客に「できるものなら何でも作るよ」と言える自由を持ち続けること。そして、あの日のロッキーのように、自分自身の心に恥じない戦いを続けているかどうか。ただそれだけだ。近年、「横丁」は日本中のあちこちで息を吹き返し、いつの間にか「昭和レトロカルチャー」という立派な名前を与えられた。かつて僕らがいた、あの湿り気を帯びた迷宮のような場所は、今では清潔で健全な懐かしさを売るための舞台装置へと姿を変えた。人々はそこで、手軽にパッケージ化された「古き良き時代」を消費する。  

 「YOKOCHO」それは新しい飲食業界における、ひとつの記号的な代名詞にさえなっている…。でも、僕の記憶の中にある横丁は少し違う。時々、僕は自宅の窓からサンフランシスコの街を白く染めていく霧を眺める。30年前の僕が見た横丁の暗闇も、今のこの深い霧も、実はそれほど大きな違いはないのかもしれない。世界がどれほど効率的に書き換えられても、あの狭い10坪の空間で僕らが浪費していた時間は、誰にも奪うことのできない記憶として、今も僕の中に静かに沈殿している。  

 なぜならどちらも、僕が僕であり続けるための、かけがえのない道標だから…。

神尾 正太郎氏(かみお・しょうたろう)プロフィール
1999年に渡米。「Ozumo」や「Yoshi's」などの名店で総料理長を歴任し、SF紙の「Rising Star Chef」や3つ星を獲得。主要都市を制覇した「グランドスラム・シェフ」となる。2013年、バークレーに「Iyasare」を開店し、ミシュラン・ビブグルマンを受賞。さらに米料理界の最高権威ジェームズ・ビアード・ハウスに招待され、NYでの特別ディナーを完売させた。現在は豊富なビジネス経験を活かし、「Pabu Izakaya」やハワイの「Izakaya 855-ALOHA」など全米の名店を監修。多くの企業や食品メーカーの米国進出を支えるコンサルタントとしても手腕を発揮している。

フード飲食業界・アメリカ進出サポート及び運営コンサルティング
ARUMONO LLC 【お問合せ】sho@shosf.com

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