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あなたの「今」が輝くために−其の百四十二

2024.08.01

配信

学ぶということ

 今年の春に大学院に入学して仏教について学んでいますが、早いもので前期の授業が終わろうとしています。さて、先日こんな興味深いことがありました。

 毎週一人ずつ、自身の研究内容を発表する授業があります。ある週のこと、授業開始のベルが鳴っても教授が来られません。すると発表が当たっていたA君に対して、大きな声で始めろと言った生徒、B君がいました。彼は「自分たちは大学院生なのだから自主的に授業を進めるべきだ、自分が属しているC教授のゼミではそうしている」と言います。スポーツで優秀な成績を収めていたB君は体も大きく、威圧的です。これはC教授の授業ではないから待つべきだと思った私ですが、年かさの者が口を挟むのも…と思い、言葉を飲み込みました。戸惑うA君に、始めろと詰め寄るB君。根負けしたA君が発表し始めたところに、教授が到着。何も仰いませんでした。

 そして翌週、授業開始の時間になっても、またもや教授が来られません。すると発表者のD君は「先週と同様に始めます」と、発表を始めてしまいました。そこに現れた教授はご立腹。先週に遡り、A君になぜ始めたのかと聞きます。A君はB君のことは一切言いませんでした。教授は怒った理由を説明した後で、「自分が正しいという思いに立った時、自分の一番やらしいところが出る」と仰いました。そして、その言葉が私に刺さりました。

 教授がA君に理由を尋ねた時、私はスポーツマンのB君だったら名乗り出ると思っていました。しかし彼は何も言いませんでした。それが残念で腹立たしく、大人気ないと思いながらも事の顛末を教授に告げようと思って、ハッとさせられたのです。

 「自分が正しいという思いに立った」私は、いい人でいたいという、「自分の一番やらしいところが出た」のです。「C教授の授業ではないから待つべきだと」言わなかった私は、「年長者が口を挟むのも…」と自身に言い訳をし、傍観者として高みの見物を決め込んだのです。比べることではないですが、ハッキリ言ってB君よりも悪いです。なぜなら私は、私が正しい、いい人だと思い込んでいて、しかも、そう思い込んでいることにも気づいていなかったからです。

 そして、実はこの気づきが、仏教を学ぶということなのだと知らされた思いがしました。


写真:Noriko Shiota Slusser

英月(えいげつ) 真宗佛光寺派長谷山北之院大行寺住職。江戸時代から続く寺の長女として、京都に生まれる。同業者(僧侶)と見合いすること、35回。ストレスで一時的に聴力を失う。このままではイカン! と渡米。北米唯一の日本語ラジオ「サンフランシスコラジオ毎日」でパーソナリティーを勤める他、テレビ、ラジオCMに出演。帰国後、大行寺で始めた「写経の会」「法話会」に多くの参拝者が集まる。講演会、テレビ出演、執筆など活動は多岐にわたる。最新著書は『二河白道ものがたり いのちに目覚める』(春秋社) 。

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