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あなたの「今」が輝くために−其の百三十六

2024.01.31

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世間を超えた世界

 先日、病気になって辛いと友人からメールがありました。その最後には「浄土真宗では今の私の状況はどう受け止めるの?」との言葉が。僧侶としての私に聞いてくれたことはとても嬉しかったのですが、正直なところ、病気のことはお医者さんに聞いた方がいいんじゃないかと思いました。餅は餅屋、病気はお医者さんです。

 何か問題があった時、また問題にまでならなくても何か疑問が生じた時は、専門家に尋ねるのが当たり前。もちろん私にメールをくれた友人も、病院で検査し、お医者さんに尋ねたのでしょう。けれどもその上で、“餅屋”以外に聞いたのです。そのことに思いが至った時、あぁ、これが仏教なんだと気付かされた思いがしました。

 私たちが生きているのは「世間」です。それに対して仏教が説くのは世間を超えた世界です。まったく質が異なるのです。私たちは世間の価値観の中で生きています。喜びも悲しみも、そして苦しみも世間の中です。そうして世間という見えない枠組みの中で、一生懸命に生きているのです。しかし時代や場所によって、その価値観は異なります。日本の当たり前がアメリカの非常識になることも、またその逆もあります。サンフランシスコで10年近く暮らして京都に帰った時、ビーチサンダルで出掛けようとしたら母に驚かれると共に、きつく止められたことがあります。恥ずかしいからやめてと。今度は私が驚きました、どこがイケナイのか?と。

 ここで大事なのはビーチサンダルではなく、世間という価値観は普遍ではない! ということです。コロコロ変わるのです。それに縛られて苦しんでいる私たちに、普遍の価値観、つまり真実があるよと気づかせてくれるのが仏教です。

 と、その仏教の説明もせず、ここでいきなり結論ですが、世間で苦しんでいる私たちにとって、世間を超えた世界があると知ることは、どうでしょうか?安心が与えられるのではないでしょうか。譬えるなら、サウナを楽しめるのは、外の涼しい世界に出られることを知っているから安心して熱さを楽しめる。外に出られないと思い込んだら苦しくなるのに似ています。そう、行き詰っているのは私の思いなのです。確かに病気によって不便になることはありますが、それによって人生が行き詰ることはないのです。


写真:Noriko Shiota Slusser

英月(えいげつ) 真宗佛光寺派長谷山北之院大行寺住職。江戸時代から続く寺の長女として、京都に生まれる。同業者(僧侶)と見合いすること、35回。ストレスで一時的に聴力を失う。このままではイカン! と渡米。北米唯一の日本語ラジオ「サンフランシスコラジオ毎日」でパーソナリティーを勤める他、テレビ、ラジオCMに出演。帰国後、大行寺で始めた「写経の会」「法話会」に多くの参拝者が集まる。講演会、テレビ出演、執筆など活動は多岐にわたる。最新著書は『二河白道ものがたり いのちに目覚める』(春秋社) 。

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