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生徒と家族を支える仕事に誇り ー峰尾 アルディス 秋代一

2022.06.29

配信

結婚を機に渡米し、現在、シティカレッジの付属幼稚園に勤務する峰尾さん。仕事は生活の糧を得る手段であり、同時に未来を担う子供たちと、その家族を支える仕事に喜びを感じているという。そんな峰尾さんに、ベイエリアでの生活について聞きました。

 

ベイエリアに住むことになった きっかけ  


1991年1月にサンフランシスコに住む夫と結婚し、来米しました。



 ベイエリア最初の印象と今の印象  


サンフランシスコ市内では、公共交通機関を駆使して目的地に着くことはできますが、一歩市内を離れれば車がないと不便だなーと思いました。  

逆にノブヒルのスタジオに住んでいたときに、ちょっと遠出するために友達の車を借りたのですが、帰ってきて路上の駐車スペースを探すのに1時間以上かかったことがありました。  

来米した当時、街をゆく人の歩行速度が異様に遅いことに驚きました! 横浜で仕事をしていた私にとって、ファイナンシャルディストリクトでも歩いている人たちが遅いんです。  

そして、アジア人がとても多い。メインのチャイナタウンだけでなく、いたるところに「ミニチャイナタウン」があって、ジャパンタウンまで行かなくても結構アジア食材がそろえられて便利でした。  

住んでみて思ったのは、サンフランシスコの夏は涼しくて過ごしやすく、霧が深いこと。日本の夏が嫌いだった私にはありがたいことでした。  

驚いたのは、公共の交通機関に時刻表がないことでした。MUNIの運転手は客をバスに残して店に入っていくし、これじゃあ、西村京太郎のトラベルミステリーは絶対に無理だと思いました。

 自分の専門分野について  


サンフランシスコ市立短大(シティカレッジ/City College of San Francisco)で、付属幼稚園の入園手続きをするのと、関係機関にレポートするのが主な仕事です。最近は幼稚園の先生がお休みの時は教室に行き、子供たちと直接かかわったりもしています。

 その道に進むことになったきっかけ  


長女が生まれたときに、アメリカでの子育てに全く知識のない私に夫が「幼児教育の勉強をしてみれば?」と勧めてくれました。 そこでシティカレッジで幼児教育のニナ・モガー先生と出会い、彼女の脳科学に基づいた幼児教育へのアプローチに感銘を受けました。先生のクラスを順番に取っていくうちに、いつの間にか「幼児教育」専攻で卒業するのに十分な単位を取得していました。  



大学付属の幼稚園に娘たちを入園させ、自分は卒業のための一般教養の必要単位をとりながら教育実修をし、園長や他の先生たちとも仲良くなりました。先生たちから、「臨時職員を募集しているから、応募してみたら?」と勧められました。 最初は幼稚園の先生だったのですが、当時の園長先生が学部の事務所に転属になるときに、入園手続きをしていた事務員が退職予定だったので、彼女の後継として私を推薦してくれました。

 英語を使って仕事をするということについて思うことは?  


ベイエリアで働くということは、中国語なまり、スペイン語なまり、ロシア語なまり、ヒンズー語なまりなどの「なまった英語」を話す人々と日本語なまりの私がコミュニケーションをとらなくてはいけないということです。 また、英語を母国語とする人々から、「あなた、何を言っているのか分からないわ、英語話せる人に代わってくれる?」と言われても平静に受け答えをすることです。  

そしていつも感じるのは、私の英語は「NOT GOOD ENOUGH. 」。特に語彙(ごい)力の不足です。 リモートワークの最中に、州の教育委員会のズームミーティングに参加していると、日常使わないような言葉がたくさん出てきて、すぐに理解ができなかったり、困ったことがありました。

 あなたにとって仕事とは?  


生活の糧。自分の時間と能力を提供してお給料をいただくわけですから。でもそれだけではありません。 心の糧でもあります。未来を担う子供たちと、その家族(特に学生と親業を両立している人たち)にシティカレッジで安心して学べる場を提供しているという自負です。  

実際に子供たちを教え、導いているのは教室にいる先生たちですので、チームワークが大切です。そんな仲間たちと一緒に働けるという喜びもあります。

 生まれて初めて就きたいと 思った職業  


芸者さんです。きれいな着物を着て、宴席で踊ったり、お酌をしたり。テレビを観てあこがれていました。着物が大好きだったので、いつも着物を着る職業にあこがれましたね。

今の仕事に就いていなかったら


今パートタイムでやってるボディーワーク、マッサージをフルタイムでやってたと思います。

 休日の過ごし方  


毎週日曜日の夜は「Sundance Saloon」というLGBTQのカントリーウエスタン・ダンスのクラブに行っています。 土曜日の朝は太極拳のクラスに参加し、あとは友達に会ったり、うちでゴロゴロしたり、買い物に行ったり。 週末は娘に会ったりもします。



 好きな場所  


海岸です。実家が海まで歩いて5分のところなので、ホームシックになると海岸に行きます。 ホームシックではなくても海が好きです。でも今は車で行かなくてはいけないので、あまり行きません。休みの日は混んでますしね。

 最もお気に入りのレストラン  


家から近いこともあり、一番行くのは中華の「Alice’s Restaurant」でお薦めは「Hunan Fish」。引っ越してきてから20年以上通っていますが、味が変わりません。娘も帰ってくるたびに食べに行っています。

 最近日本に戻って驚いたこと


2年以上帰っていないので最新の状況は分かりませんが、今の若い人が使う日本語が分からない! それに高齢化が進んでいることや、子供がみんな偉そうにしていること。年寄りが子供を甘やかしていることや、 外国の観光客が地方のモールにさえ団体で来ていることにも驚きました。今はコロナのせいで、外国人観光客はいないんでしょうね。

日本に持って行くお土産  


父にはサラミ、叔父にはピスタチオ。あとはシーズキャンディのチョコレートですね。

 日本からベイエリアに持って帰ってくるもの  


母の作った梅干し、叔母の作ったユズのマーマレード、ラーメン、日本の布地。 あとは(世界の塩をブレンドした)漢宝塩。

 現在のベイエリア生活で不安に感じること  


ダンス、アートスタジオがどんどんコンドミニアムになっていくことですね。でも入居率が低い。 アートを失い、空っぽのコンドミニアムだらけのサンフランシスコですが、私たちには高すぎて購入できない。それに、サンフランシスコから家族が減り続けることも不安に感じます。

 日本に郷愁を感じるとき  


両親のことを考えるときです。

 お薦めの観光地  


カーメルとパシフィックグローブがお薦めです。

 永住したい都市  


サンフランシスコです。

 5年後の自分に期待すること  


引退して、ボディーワークをしながら、本を書く。 コーチングをする。

 最も印象に残っている本  


『竜馬がゆく』(司馬遼太郎・著)。20代の頃に父が買ってくれました。 全巻通して3回読みました。 坂本龍馬に憧れていました。なぜ男の人は女から見て「どうして?」と思うような女性をパートナーとして選ぶのでしょうか?とお龍さんにやきもちを焼いていました。

 最近読んだ本  


『2つの扉』(高橋桂子・著)

 座右の銘は?  


「笑顔は伝染する 」 。

プロフィール

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Akiyo Mineo-Aldis

神奈川県足柄上郡出身。1991年渡米、92年、長女の誕生後にシティカレッジ入学。 2005年に「私は癒やしの手を持っている!」と啓示を受け、マッサージスクールに入学。 大学で伝統的中国医療、直伝レイキ、ボウェンワーク(オーストラリア発祥のボディーワーク)などを学ぶ。 2021年11月、電子書籍『結婚した夫はゲイでした』をキンドルで出版。サンフランシスコのLGBTQ+コミュニティーでの経験や自身のセクシャリティーについて書いている。現在「フェミニン・ジーニアス・トランスフォーメーション・コーチング」を学んでいる。

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